やっとの思いで沅陵皮鞋街を抜けて、ホッとしたが、もう夕方5時近くで、チェックインの時間を過ぎてることに気づいた。
今回、Airbnbで中山駅近くに宿をとったので、移動しようと考え、
スマホで現在地を確認すると、最寄りの駅が西門駅である事がわかり、その場所から西方面へ向かった。
徒歩で通りを抜けると、ひらけた公園になっていた。
ひらけたところに「中山堂」と壁にかいてある建物が目に入ってきたので、おもしろそうだと思い中に入ってみた。
都会の中にひっそりと佇むクラッシックな建物
入ってみると、薄暗くて、照明もほのかに明るいといった程度で、外観からみたとおり日本の明治大正くらいの時代を感じさせるような雰囲気だった。
右手に回っていってみたが、お部屋になっていたので、むやみに入る事はしていけないと思い、入らなかった。
2階に通じる階段も絨毯が敷き詰められていて、昔の戦争映画のシーンに出てくるように重厚なデザインであった。
誰もいなく静かすぎて、バツが悪かったのでおトイレだけかりて、顔を洗って出てきた。
日本統治時代の歴史的遺産の建築物
帰ってきてから、この建物はすごいことに気が付いたので、まとめておこうと思います。
台湾には中山路とか中山の名がついた地名や建物が多いように、それと同じ「中山」は孫文の別名。
70数年前の日本統治時代の建築物で、曲線を多用した、西洋やイスラムと台湾独自の建築様式が融合してできたデザインで、
外観内観とも、その建築美が素晴らしく、建築物は台湾の重要な歴史的遺産に指定されています。
中は、大小ホールや老舗のカフェ、お茶やお花が楽しめる臺北書院があり、今では音楽・舞台や台湾文化を楽しむ市民交流の場所となっています。
使用している素材にも特徴があり、壁に使用されている煉瓦は、日差しの反射を防ぐため一枚一枚縦に40もの溝がほってあるそうで、そんな細かい仕事は日本人ならではだなと思いました。
太平洋戦争に負けた日本が、ここで降伏状にサインした場所だそうです。
菊の紋章をかたどったレリーフは、今では台湾の国花である梅にすべてかえられています。
ガイドブックにあまり載ってない中山堂
台湾の歴史的遺産として価値ある建物の中山堂ですが、ガイドブックにはあまり載ってません。
ですので観光客もあまり来ないところだと思います。
私も、もう少し勉強してくればもっとゆっくりこの場所をすみずみまで見れたと思います。
でも、ここはたまたま通ったところで見つけた場所でしたので、こんな発見も旅にはあっていいものだなあと思いました。
あまり、有名でないところなので、自分だけ知っているという優越感もあったり、歴史の勉強になったり、今もなお自分の旅に色づいていくようで、楽しいです。